2015年御翼9月号その1

霊的成長とは何か(リック・ウォレン『霊的成長をもたらす4つの習慣』より)

 

 ひとことで言うなら、霊的成長とは「キリストに似た者とされていくこと」です。そして、成熟度の基準は「どれだけキリストに似た者とされているか」ということになります。(「神の御子に対する信仰と知識において一致し、真に成熟した者となり、キリストの満ち満ちたさまにまで達するためです」(エペソ4・13)。しかし、罪の結果、私たちのうちにある神のかたちは損なわれてしまいました。そこで、主イエス・キリストがこの地上に来られ、私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださったことにより、もう一度、神のかたちを回復する道が開かれたのです。
古い習慣を脱ぎ捨てて、新しい習慣を身につけていくことによって、私たちはキリストに似たものとされていくのです。
4つの習慣とは何でしょうか。
1 みことばと共に過ごす時間を持つこと、
2 神に祈ること、
3 収入の十分の一を神に献げること、
4 他のクリスチャンと交わることです。

これらの4つの習慣を一つの絵にした
ものが、この「弟子の十字架」です。
体の健康を保つためには、運動をするなどの基本的な習慣を身につける必要があるように、霊的健康を保つためにはそのための習慣を身につけ、時間と労力をかけて訓練に取り組む必要があります。
これらの4つの習慣を一つの絵にしたものが、「弟子の十字架」です。「みことば」と「祈り」は縦の関係、すなわち神との交わり(神と共に過ごす時間)を示しています。祈りを通して神に語りかけ、みことばを通して神に語っていただくのです。一方、横軸は「交わり」と「献金」で、人間関係およびお金との関係を表しています。人生の主要な構成要素である「時間、お金、人間関係」の3つの領域において、主を第一にしているなら、その人は神を第一にして歩んでおり、イエス様に似た姿へと変えられていくのです。
献 金
 申命記14・22-23に「あなたが種を蒔いて、畑から得るすべての収穫の十分の一を必ず毎年ささげなければならない。…あなたが、いつも、あなたの神、主を恐れることを学ぶために」と書かれています。神が求めておられるのは私たちのお金そのものではない、ということです。神は、十分の一献金を通して、私たちの心が神を第一にしているかどうかをご覧になりたいと考えておられるのです。私たちに与えられているすべてのものは神のものです。そして、与えられた収入の十分の一を神に差し出すことによって、それが真実であることを表明するのです。
私たちが十分の一献金をするとき、それは10%をささげるというよりも、収入の90%を使わせていただくのだということなのです。すべてのものは神のものです。ですから、神が私に90%を任せてくださっているのだと考えるのが聖書的な理解なのです。
なぜ、私たちは十分の一献金をすべきなのでしょうか。聖書は8つの理由を示しています。
@ 神が命じておられるから(レビ27・30) 十分の一は主のものである。
A 主イエスが勧めておられるから(マタイ23・23)
B 神が第一であることを表すから(申命記14・22-23)
C すべてが神から与えられたものであることを教えてくれるから(申命記8・18)
D 神に対する感謝の思いを表すから(詩編116・12)
E 十分の一献金をしないことは神から盗むことだ、と神が言っておられるから(マラキ3・8-10)
F 神が生きておられることと、神の具体的な祝福を体験することができるから(マラキ3・10-11)
G 神に対する愛を表すから(ヨハネ14・15)


「私は今年から十分の一献金を始めることにしました。何が起こっているのかよく分かりませんが、不思議な導きでより収入の高い仕事に就くことができたのです。確かに、約束された通りのことが起こっています」と、リック・ウォレン牧師の教会員は証している。

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